2018年のゴールデンウィーク、私は大学から空港に直行し、北京経由でモンゴル・ウランバートルに降り立った。
空港まで迎えに来てくれた宿の主人の車に乗り込む。窓の外の景色は、すぐに赤茶けた丘に変わった。車は宿に着く前に小さなスーパ・マーケットに立ち寄った。滞在日数ぶんの水や嗜好品は今のうちに買っておくよう、主人が促す。そう、私がこれから行く場所は、水や酒が容易に手に入る場所ではないのだ。原野に佇むゲルキャンプ ー それが今回挑むモンゴル撮り鉄の拠点だった。
翌日、朝4時半に飛び起きて身支度をする。寝る前に火を灯しておいたストーブの火は消えてしまっていた。道理で冷えるわけだ。5時、満月を背に出発し、明るい東の空を目指して歩くこと一時間、バヤンの丘の上に立つ。
寒風吹き晒す丘で待つこと暫し、夜行鈍行285列車が朝陽に輝く荒野を猛然と駆けてきた!
バヤンΩカーブ周辺はアングルが豊富。太陽の動きに合わせて歩けば一日中愉しむことができた。列車がωカーブに進入し視界に現れるずっと前から山に機関車のエンジン音が谺するのは、モンゴル撮り鉄の醍醐味だ。風に混じる唸りに耳をすまし、漂う雲に念を送る。
中央の写真の機関車はウクライナ製の新鋭2TE116U"D"型。左右の写真の"M"型と比べ、外観は塗装以外大差ないもののエンジンはアメリカGE社製のものを新製時より搭載している。左の写真の列車では後補機にDASH7型が連結されていた。いかにも…という表情の先頭の共産圏型機関車と、これまた一目でアメリカGE社製と判る最後尾のDASH7が峠で共闘するのはなかなか胸が熱くなる光景だが、モンゴルの鉄道事情は東西大国の狭間を行ったり来たりしているようでもある。
3日間バヤンを歩き回った後、もう一つのΩカーブを目指してホンホルへ移動した。
ホンホルΩ線逆S字カーブは押しも押されもせぬモンゴル鉄の聖地である。大陸横断輸送を担う超弩級貨物列車は、この見事な俯瞰撮影地を以ってしてもフレームに入りきらない。夏の草原の風景が定番ではあるが、春先の乾いた風景も澄んだ空と青い機関車が一層映えてまた魅力的。
そしてホンホル2日目、逆S字カーブを望む岩肌に直登し夕刻を待つ。1日目には曇られてしまったこの撮影地、狙うは700km先の中蒙国境ザミンウード行き鈍行276列車。モンゴル名物の2Zagal型 -ソ連型とアメリカ型の合いの子機関車- の重連に牽かれる20両以上の客車は、山影に隠れる直前の光線に照らし上げられ優雅な弧を描いた!
撮影後、私は大満足で宿としているゲルキャンプに戻り、栓を抜かずに取っておいた最後の瓶ビールを飲み干したのであった。酒気を鎮めようとゲルの外に出ると、夜空の向こうから愛おしき機関車の嘶きが響いてきた。日本に帰る日が近づいていた。
- - -
毎朝日の出前に歩き出し、日が沈んでからやっと宿に戻る苦しくも愉しい日々であった。歩数計を見ると、この1週間弱でのべ百数十キロを歩いていたようだ。さすがに疲労困憊、帰国後も暫くは脚が痛んだ。
海外鉄の先輩が数年前に撮影されていた写真を見て以来憧れていたモンゴルのΩカーブ群。今回の写真は氏の記事に敬意を示し「遥かなるモンゴル」とした。また、今回遠征のための情報蒐集ではUB Railfanにお世話になった。モンゴルの鉄道の時刻表から車両情報や撮影地まで見事に纏まっているので非常に心強かった。
驚いたのは1週間弱の滞在と撮影の間、2人の日本人撮り鉄と撮影地で出会ったことである。中国や台湾でもこんなことはなかなか無い。野良犬に賄賂(朝飯のサンドイッチのかけら)を渡したところ懐かれてしまい、以後数時間撮影を共にするという出来事もあった。人影すら疎らな遥かなる荒野で意外な出会いに恵まれた旅となった。