世界地図を眺め遣れば、圧倒的な存在感を放っている国がある。図法上の制約で実際以上に大きく描かれているというのは承知しているが、世界一の面積ということに間違いはない。その名はロシア。鉄のカーテンという言葉が過去のものとなって久しい今でも、彼の国を旅するのは一苦労を要する。
しかし一年前の2017年夏から、日本海を挟んだ沿海地方ウラジオストクを入出国地点とする電子ビザが発給されるようになった。以前から気にはなっていたが、尻込みしていた国。二十歳の夏の終わり、やり残した宿題に私はやっと手をつけた。
ばたばたと航空券を手配し、9月下旬のウラジオストクの空港に降り立った。すぐにでも郊外の国鉄線を撮りに行きたい気分でもあったが、残念ながら天気は雨模様。準備運動という訳ではないが、ウラジオストクの市街に1路線だけ細々と生き残っている路面電車6系統を撮影することにした。サハリンスカヤ通りの電停から望遠レンズを構える。立ち並ぶ木々は早くも秋の装いに移ろうとしていた。ウクライナなどでも見かけたロシア標準型の車両がほとんどだが、旧式車両とも巡り会えた。
ウラジオストクに着いた翌日の午後、国鉄の鈍行電車に5時間ほど揺られてナホトカに向かった。
ナホトカはウラジオストクの東80余kmに位置する港町で、ウラジオストクが自由港となる前は極東の海路の拠点であった。どうしてもウラジオストクと比べると寂れた雰囲気は拭えなかったが、安い宿が一軒あるというだけで私には十分である。
翌朝は5時に起き、北へ向かう列車に乗り込んだ。前日の雨のせいか、霧が濃い。一駅目で下車して、そこからはひたすら線路脇の泥濘んだ道を歩く。やがて霧はおさまり、真っ赤な太陽が登った。朝日が低空の雲を抜ける頃には、撮影地に辿り着くことができた。
線路端に立っていると、ナホトカは今なお重要な交易拠点であるということが実感できた。早朝からH級機関車重連の長大貨物列車が轟々と音を響かせながら通過していく。カーブと勾配の連続するこの路線は重量級機関車の独擅場。
この区間は線路から離れて背景の山を交えながら風景写真気味に決めても、線路脇に齧り付いて列車主体で撮っても愉しめる。編成の長い貨物列車も良い具合に直線区間に収まる。幸い午前中は太陽が雲に隠れずにいてくれたので、立ち位置を移動しながら撮影を続けた。
この区間で見られるのは、2連結の重連か、3連結、あるいは4連結の機関車。形式のバリエーションには欠けるが、塗装の差異もあり、なによりその圧倒的な重量感は何度見ても愉快なものであった。
ナホトカからウラジオストクに戻り、天気予報と睨めっこをする。次は反対の西側、アムール湾の対岸へと進んでみることにした。ウラジオストクからバスに揺られること3時間余り、スラヴャンカという小さな港町にたどり着く。一泊ののち、日の出前にカメラ一式を背負って北に5kmほど歩く。右手の空が明るくなってくる。農道に毛が生えた程度の道路から砂利道、終いには藪を漕ぎ、やっとの思いで逆Sカーブを見下ろす丘にたどり着いた。
この路線は北朝鮮へと通ずる「ハサン鉄道」の支線である。日の出直後にまずは2TE10型機関車が単機でやってきた。斜光線を受け、立派な秋の雰囲気である。この後も何本かは列車が来たのだが、光の向きが宜しくなかったり肝心の時に雲にやられたりして、成果として挙げられるものとは言い難い。代わりに、昼頃にもう一度やって来た単機の写真でお茶を濁そうと思う。陽が昇れば、まだまだ木々は晩夏という装い。このロケーションでは赤いRZD塗装も一際映えて悪くない。山を背景に戴くカーブというのは私の最も好みとする構図の一つである。予想よりは幾ばくか多くの列車本数があることも分かったことでもあるし、雲の少ない季節にもう一度訪れることにしようと思う。
沿海地方電子ビザの期限は8日間。今回の初訪露は6日間の滞在と安全側を取ったが、それでも西へ東へ飛び回り、昨年以来すっかり忘れてしまったロシア語とキリル文字の記憶を引き摺り出しながらの旅はかなり草臥れた。案外、一週間くらいの滞在が身体的には丁度良いのかもしれないと感じた。
かつては多くの鉄道ファンにとって近付き難い存在であったロシアも、極東地域に限れば今となっては日本から最も近い海外鉄スポットになった。沿線でカメラを構えていてもとやかく言われることはなく、若造ながら良い時代になったものだと感じた。次はいつ行こうか。取り残した被写体へのリベンジ、あるいは新たなる撮影地を求めて。いざ、再び極東ロシアへ。