台湾初の電車であり、台湾特急型車両のパイオニアであったEMU100型。長いこと静態保存状態となっていた同車だったが、2018年7月、長い沈黙を破り臨時列車として運転を行うことが発表された。新たに電化された台湾南東部の花蓮〜台東間へも初めて入線するという。
大学の試験期間ではあったものの、運転日はちょうど試験の空白日。天気予報は晴れ。台湾の幹線としては最後の非電化区間であり、電化工事の進む南廻線の撮影と合わせて、台湾へのスクランブル発進を決めた。
朝の飛行機で台湾に入り、東部幹線を南下。1日目は台東に投宿した。
2日目はまず南廻線の「金侖大橋」へ。この鉄道橋を見下ろす形で昨年10月に道路橋が開通し、夏場の早朝限定で順光となるアングルが誕生した。道路橋の影が写り込まないようにするのはシビアだが、南廻線名物の復興號客車を使用した區間車も撮影することができる。続く莒光701次も気持ちの良い光線の下で撮影。
さらに路線バスで太麻里へと移動。3度目の「大俯瞰」へ徒歩登頂した。こちらも光線が高くなる夏場限定のアングル。前回は霞んでいた水平線も、今日はくっきりと見えている。普快3761次はインド客車で統一された3両編成。南廻線電化工事を目前にして、漸く満足のいくカットを太麻里で撮影することができた。私に海外鉄のきっかけを作ってくれた路線であり、最初の頃はよく曇られ悔し涙を流した路線。手元のカメラの写真を確認し、もうこの撮影地を再訪することはないだろう…と感慨深く思いながら山を下った。
この日は宜蘭まで戻って就寝。翌日のEMU100型復活運転に備えた。
7月28日、復活運転当日。一発目の撮影地は東部幹線の北部で貴重な午前順光の撮影地である双渓〜貢寮のS字カーブを訪れた。しかし本番、列車本数の少ない東部幹線でありながらまさかの「被り」。最新型のEMU800型電車との離合はある意味で貴重だとか、いくらでも屁理屈は捏ねられるものの本心ではやはり納得がいかない。意地でも追加のカットを得よう。私の闘争心に火がついた。
まずはEMU100の長時間停車を利用し、後続の特急で追い抜く。花蓮駅で特急を降り、タクシーに飛び込む。
「お客さん、どちらまで?」
「……目的地は分からないけど、まずはあそこの陸橋に!」
かくして、追撃戦の狼煙は上がった。
まずは花蓮駅近くの陸橋で撮影するも、障害物が多くいまいち。そこで花蓮から30kmほど南下し、南平駅手前の区間で手堅く編成写真を一枚ゲット。
この頃には我らがタクシーはいよいよ運転手と撮影者の意思疎通も万全、アスファルトに浮かぶ陽炎を追い越さんばかりの勢いで台9号道路をカッ飛ばしてぐんぐん南下する。EMU100の次の停車駅は光復站、その長時間停車を活かしてもう一度タクシーで追い抜き、駅先の光復鉄橋で縦アングルを構えた。
鉄橋のネームプレートを写し込み、EMU100型が初めてこの花東線区間で営業運転を行ったことを強調する。やがて重厚なモーター音と、英国式の汽笛を響かせながらEMU100型はそろりそろりと橋梁を渡って来た。
これにて追っかけ撮影を終了とし、タクシーで光復駅へと戻った。面倒な行路に嫌な顔一つせず最後まで最善を尽くしてくれた運転手には感謝してもしきれない。私は再び台東へと向かった。
翌日は台湾最終日、夜の便で東京に戻らなければ翌日の必修科目試験に間に合わない。午前中はどこで撮影をしようかと考えたが、ふと南廻線大武站近くの橋梁で順光カットが未獲得であったと思いつき、始発の自強号で大武に降り立った。
ズボンを捲り川に浸かって列車を待つ。やがて、山の向こうからディーゼル機関車の咆哮が響いてきた。
3泊4日の短い遠征ではあったが、試験の間に良い心の洗濯ができた。雲ひとつない南台湾の空と、そこに架かる橋をゆく客車列車を仰ぐ。この空には、やはり架線柱はない方が良い。思い出深く、そしてじきに喪われる光景を目に焼き付けるようにシャッターを切った。