卒業論文では台湾の建築を扱った。論文執筆中に2度ほど、資料収集や現地の研究者に意見を頂戴するために台湾を訪れた。
粗方資料を集め終えた9月のある日、久々に台湾の線路端に立つ。程なくして、手動ドアの旧式客車を連ねた莒光号が現れた。海外鉄を始めてから幾度となく撮影してきた電気機関車牽引の莒光号も、ようやく満足いくカットが収められた。
卒論の最終発表を2週間後に控えた10月某日、論文執筆にひと段落をつけた私は羽田発上海行の深夜便で中国の土を踏んだ。訪れたのは浙江省の金温鉄路。中国では極めて珍しい、独自塗装の機関車を運用する地方鉄道である。白と青の爽やかな塗装に彩られた老兵DF4Bが、晴天の麗水峠を駆け抜ける。
曇天となった翌日は、青田駅近くの寺院を訪れた。手前の龍の屋根飾りと遠くの線路とを望遠レンズで引き寄せる。さらに滞在3日目、天気予報は時折小雨。金華の町から路線バスに乗り、かねてより狙いを付けていた撮影地へ。石造りのアーチ橋、鉄道橋、そして霧に霞む山並みを真横から仕留められる絶好のアングル。いつもは恨めしい霧も、この日ばかりは良い雰囲気を醸す存在として大歓迎である。
かくして虎視淡々と狙っていた金温鉄路にて、晴れ・曇り・雨の三者三様の写真を撮影でき、私は大満足で帰国し再び論文の筆をとったのであった。
11月中旬、卒論の発表も提出も終え私は、さっそく中国に飛んだ。今度は天津に到着、そのまま内陸を目指す。
到着初日は石家庄で途中下車し、ローカル貨物線・大宋鉄路を訪れた。線路端を適当に歩きながらロケハンする。通りかかった踏切で警手に「列車はいつ来る?」と尋ねると、「馬上(もうすぐ)!」と。その言葉の通り、すぐに警報が鳴り出し列車が現れた。慌てて撮影可能な場所まで走り、なんとか撮影。
翌日からは、山西省の太原と河南省の焦作とを結ぶ国鉄線・太焦鉄路へと転戦した。行手を阻む太行山脈を乗り越えるため、数多の隧道とループ線が配されたこの鉄道は未だその地形の悪さから、石炭輸送の要衝であるにも関わらず非電化の単線である。活躍するのは橙色のDF4BK(客運型)機関車と、DF4B-D(改D型)機関車。どちらも去就の注目される老兵である。
名撮影地の多い太焦鉄路でも随一の名所、石会ループ線へ。崖をよじ登りカメラを構える。DF4BKに牽引されたK1365次は軽やかなエンジン音とともに山路を降ってきた。
黄昏時、単機回送で峠をゆくDF4B-D。剥き出しの岩肌が赤く染まる。太焦鉄路は旅客列車の本数が少なく、貨物の時間も日によって変わるので撮影には難儀した。それゆえに、思い通りのアングルで撮影できた時の喜びはひとしお。
3日にわたり太焦鉄路沿線をほっつき歩いた後、日本に帰国。海外鉄を始めた頃から気になっていた金温鉄路と太焦鉄路とを訪問でき、実に愉しい秋となった。隣国である中国にも、未だなお未知の素晴らしい撮影地が眠っているであろうことを再び実感した旅であった。