感染症の拡大に伴う国際航路の実質的な閉鎖により文字通り翼をもがれた"海外鉄"たちの多くが、国内の路面電車に熱中しだした。もとより国外の未知の撮影地を開拓していく気概に溢れた性格の持ち主、狭い街の中でも無限のアングルを探し得る路面電車は格好のフィールドであったのだろう。
かく言う私も、久しくご無沙汰であった国内遠征を乱発している。行き先は北は札幌から、南は鹿児島まで。いつか向き合わなければならないとは思っていた被写体と、今年は正対することになった。
Kochi/高知
Feb. 2020 / Nov. 2021
2020年の2月、実に7年ぶりくらいに国内線の飛行機に乗り、高知を訪問した。お目当ては、几帳面に並んだ縦長の窓も美しい"とさでん"200形電車。パステルカラーの新塗装が増える中、いまなお鳥の子色の旧塗装や、鴨の羽色の復刻塗装を纏った車両も現役であるのが嬉しい。前面のLED方向幕こそ今日らしい装備だが、側面から見れば、ため息が出るほどに端正な1950年頃の路面電車の出立ちである。陽の短い時期の柔らかい光線や、冬枯れの畑地との調和も申し分ない。錆を戴いて車庫の片隅に佇む姿すら、どこか風格を感じさせる。
"とさでん"の魅力は車両だけではない。はりまや橋交差点の平面交叉は、その線路配置の美しさでは日本全国の路面電車の中でも随一のものではないだろうか。黒く沈むアスファルトのなかで照らし上げられる軌道は、呪術の文様のようにも見える。
2021年11月、海外鉄道趣味の先輩が主催してくださった貸切運転・撮影会に参加した際にも、本命のカットには平面交叉を俯瞰するお気に入りの場所を選んだ。主役は北欧ノルウェー・オスロから遥々高知にやってきた198号車。このユーモラスな意匠の車両が生まれた80年前の北欧に思いを馳せつつ、周囲の看板や自動車を排してアングルを決めた。
※前掲の車庫内でのカットは、この貸切運転に際して許可を得て立ち入り・撮影したもの。
Tokyo/東京
Toyohashi/豊橋
Mar. 2020 (Tokyo) / Aug. 2020 (Toyohashi)
夜風に当たりながら長時間露光のシャッターを切るのも、また路面電車撮影の醍醐味である。訪れた各地で宵闇の歩道橋に這い上がったが、中でも気に入ったのは東京と豊橋とで撮影したカットだった。
幼い頃には都電の新鋭車両として持て囃されていた8500形も、気付けば三十路に入りつつあり、荒川線らしい若草色の帯を維持する最後の車両となってしまった。
豊橋市電の3203は酷暑のせいか敢なく日没からの運用。東八町の交差点から国道一号線の濁流に飛び込まんとしている姿を捉えた。
Hiroshima/広島
Aug. 2020 / Nov. 2020 / Mar. 2021
路線網の長さ、車両の種類の豊富さ ー そして活気。広島の路面電車は何度訪れても飽きない。以前に比べればずいぶんと新型の低床車両の導入が進み、旧型車両の数は減ってしまったが、京都育ちの1900形はまだ第一線での活躍を続けている。ほぼ毎日運用に入っているため、こちらとしても肩の力を抜いて撮影できるのは有難い。あるときは迅雨の中に蟹の目のような前照灯を輝かせ、またあるときは入道雲を背に集電装置を高く掲げ、広島の夏を闊歩する彼らの姿は実に頼もしい。
"1形式1両"の少数派となってしまった、神戸育ちの570形582号や九州育ちの600形602号。あるいは"被曝電車"として有名な650形。魅惑の旧型車両を撮影するべく、友人知人らは幾度となく貸切運転を企画し、私もまたその企画に参加させていただいた。
「江波出庫」「舟入川口町の歩道橋から視認」「十日市町右折」……沿線各地に散らばった友人らが、お目当ての車両の動態を刻一刻とチャットで報告する。ひとりぼっちで街を彷徨う海外鉄とはまた真逆の楽しみである。
2020年11月23日、広島電鉄は路面電車開業日を記念して「ひろでんの日」イベントを開催することを告知した。事前に特別運転が告知されていた602号や582号もさることながら、路面電車ファンから密かに注目されていた車両があった。1925年に製造され、運用離脱後も長らく江波の車庫で眠っていた単車・156号。同車は2ヶ月ほど前に突如千田車庫へと夜間回送され、全般検査と試運転も受けていた。このイベントの真の主役とは、もしやこの156号なのではないか?
果たして11月23日、江波車庫6番線には、朝陽を浴びて佇む全長9mの可愛らしい電車の姿があった。鉄道員の手旗に導かれ、眠り姫はしずしずとカメラの方列の前に進み出る。広島の、最も熱い一日が始まる。
Sapporo/札幌
Sep.2020
近代に計画的植民都市として造営された札幌の路面電車には、家々の軒先迫る裏道だとか、インター・アーバンの雰囲気を醸す郊外の半併用軌道だとか、そういう変化に富んだロケーションはなかなか望めない。直線的に伸び、直角に交わる道路の真ん中を路面電車の軌道が貫く。そんな「札幌らしい」景観のなかを走る車両たちが、妙に丸っこいデザインをしているというのもまた面白い。
Hakodate/函館
Sep. 2020 / Dec. 2020 / Aug. 2021
同じ北海道にありながら、札幌と函館の両都市で路面電車の面白みは全く異なる。曲がりくねり、高低差もある路線網。かつての栄華を偲ばせる街並み。そして如何にも日本の路面電車らしい"へそライト"の旧型車両たち。なかでも全面広告を纏っていない530号と812号の美しさは格別だった。
現在の函館市電の路線網は2系統と5系統の2路線のみに縮小されてしまったが、友人主催の貸切運転では、かつ存在した"1系統"や"3系統"の表示を復活させ、さらには側面広告までありし日のそれを再現させることが叶った。友人の努力と、市電の方々のご好意の賜物である。
幻の1系統や3系統をどのように演出するか……? と悩んだが、結局は真新しい建物や自動車が画角に入らないように注意しながら、昔ながらの函館らしい要素と絡めるという無難な方向に行ってしまった。それでも、閉館間近の函館駅前ビル(棒二森屋アネックス館)の窓からのアングルは満足いくものだった。
貸切運転の際、車体側面に掲げられた広告のうちのひとつ、"お酒は大雪丸"の板はかつてのホーロー看板を模したもので、私がボールペンの落書きのような原案を描いたものを、友人らが尽力し見事完成させてくれたもの。その行動力には頭が上がらない。
もうひとつ、私たちを惹きつけてやまない函館特有の要素があるとすれば、それは除雪用のササラ電車の存在だ。札幌と比べて降雪の少ない函館では、ササラ電車は運行頻度も少なく、除雪シーンを捉えるには現地に長期滞在するしかない。
2020年の大晦日、そのチャンスは遂に巡ってきた。宿から寝惚け眼を擦って車庫まで歩くと、普段は建屋の奥で眠っている雪3号ササラ電車は今まさに出陣とするところ。慌ててタクシーを配車してもらい、ササラ電車を追いかける。途中で友人N氏とも合流しながら、徐々に明るくなる空の下、実に2時間以上におよぶ追撃戦を堪能したのだった。
Kagoshima/鹿児島
Oct. 2020
函館の530号然り、広島の602号然り、私は"うまづら"気味の路面電車が好きだ。路面電車の車両はその車体幅の最大値に関わらず、塗り分けや窓配置、あるいは周囲の建造物に抵触しないために前頭部の幅が絞られていたりすることで、表情がスレンダーにもふくよかにもなるから面白い。
さて、"うまづら"路面電車のメッカといえばやはり鹿児島だろう。鹿児島の500・600形は、その"おでこライト"のスタイルや絞り込まれた前頭部、白帯を添えた金太郎塗りの塗装、そして天地方向に長い窓の配置によって、我らスレンダートラム派の琴線を強く刺激する。原形ヘッドライトと白塗りの切り抜き車番文字で人気の高かった612号は手堅く正面から、そして訓練運用に入っていた501号は、いにしえの"Rail Magazine"を意識した暴力的な流しで決めた。
さて、春以来ずっと路面電車と往来の光跡とを絡めたカットを狙っていた私にとって、この10月の鹿児島はどうしても訪れなければならない場所だった。
陽も沈んだ鹿児島の街を走るは、光る"花電車"。1911年に製造された花2号電車にとっては、最後の活躍の舞台がこの2020年秋の「おはら祭」シーズンの運行だった。宵闇に浮かび上がるその電飾の光量ゆえ、夜間であっても走行中の車両をブレなく狙える。
Kumamoto/熊本
Oct. 2020
鹿児島の帰りに立ち寄った熊本。同地きっての"うまづら"である1063号を拝むことは遂に叶わなかったが、喜寿まぢかの1081号・1085号やをはじめ、多くの旧型車両を追いかけることができた。白地に緑の帯を締める爽やかな塗装は、晩夏の市街によく映える。無骨な造形の旧型車両が、後年に導入された新型車両と揃いの召し物を纏っている姿もまた、復刻塗装とは違った趣がある。(函館市電の500形や710・800形も、1両くらい白地に笹色帯の新塗装に戻らないものだろうか。)
Osaka/大阪
Mar. 2021
緑色やクリーム色を纏う路面電車は多いが、赤系統の色の車両は、今日では少ないのではないか。そんな中、2020年夏に阪堺電気軌道162号が、かつての"筑鉄電車"を模した臙脂色に塗り替えられた。4両のみの存在のモ161形自体、非冷房車であることも相俟って出庫の機会は少なく、さらに162号以外の3両はそれぞれ緑や茶色の異なる塗装。お目当ての車両が出庫せずに車庫の前で崩れ落ちることになるかもしれないと覚悟したが、果たして3月らしからぬ澄んだ空の下、162号は自慢の臙脂色を引っ提げて堂々と住吉の軌道に躍り出てきた。
Matsuyama/松山
Apr. 2021
熊本の項では、旧型電車が新塗装を纏っているのも悪くないなどと書いた。それでも、伊予鉄道のこのオレンジ一色塗りの新塗装には、正直言って当初は面食らい、旧塗装時代に訪問しなかったことを悔やんだ。
さりとて時計の針は戻らない。この単色塗りを最大限に生かせる車両は、きっとモハ50形の60番台車だろうと考え、優先してカメラを向けた。リベットやリブの凹凸による陰影が、単色の車体をうまく引き締めてくれている。
単色塗りの車体は、ブラしたり点景のような扱いにしても楽しい。伊予鉄道の軌道線は、鉄道線との平面交叉があり、ターミナル駅あり専用軌道ありで、ロケーションには事欠かない。太陽の移ろいに合わせ、私は宿泊した宿で借り受けたママチャリをギコギコと漕いで、松山市街を何周もすることになった。松山市街は高低差が少ないのが救いだが、それでも電動アシストのある広島のレンタサイクルが恋しかった。
Nagasaki/長崎
Apr. 2021
街のそこかしこの隙間から顔を覗かせる、クリームと緑の車体。その全長は11mと、高知の"とさでん"200形よりもさらに短い。6、70年前に日本で走っていた全ての路面電車車両の最大公約数のような、"どこにでもいそう"な愛らしく穏やかな風貌こそが長崎電軌200形・300形の魅力のようにも思える。
長崎は坂の町だとは言われるものの、路面電車が坂を登る区間は多くない。それでも馬鹿と煙はなんとやらで高所を探し、斜面地に街並みが広がる様を写した。海外を旅していた頃から沢山歩くことにかけては自信があったが、日本国内の路面電車を相手にして、以前にもまして歩数計の数字が伸びるようになったように感じる。
2021年の夏以降は、海外渡航が比較的容易になったこともあり、国内の軌道からは再びやや遠ざかってしまった。それでも、時折日本の軌道が恋しくなる。岡山、富山、高岡……まだ訪れていない路面電車もいくつかあるではないか。コンビニのおにぎりを5秒で飲み込み、レンタサイクルに跨り、体力と気力の限界へ……。