中国東北部・現役蒸汽巡り(2016/03)

《九台・調兵山・撫順・天津・平庄》

2016年の初頭、中国東北部に残る現役蒸汽を一気に巡る旅に出た。瀋陽空港を起終点とし、極寒の内蒙古や吉林・遼寧省を巡る計画である。

2月29日の飛行機で瀋陽に到着し、瀋陽北駅から高速鉄道で長春へ。翌朝は逸る心を抑えきれず早朝の特快に乗り込んだ。

朝6時前、九台駅に到着。東北部とはいえ、まだ暗い時間帯である。日の出と蒸汽を絡めて撮影すべく、駅からタクシーを飛ばした。

ところが、連れてこられたのは廃線跡。少なくとも火の入った蒸汽は居なさそうである。タクシーの運ちゃんも実はよく分かっていなかったらしく、街行く人に尋ねながらの運転。

やっと蒸汽とご対面。ギリギリ日の出に間に合い、オレンジ色に染まる煙を拝むことができた。今後訪問する方は、ドライバーに「营城煤矿(インチェンメイクァン)」と伝えれば多少はスムーズに到達できるかもしれない。

吐き出されたドレンが、零下の空気に白く広がる。ただ残念なことに、訪問日は貨車の仕業がなく、機関車は給水所までの短い往復を走ったのみだった。加えて釜は北向きである。

こちらは装飾釜のSY0515。部品取りとなっているようだ。

裏手のナローゲージは一応動いていた。中途半端なところまで走った後、作業員はみな昼食休憩に出て行ってしまった。

ここ九台では乗務員詰所で暖を取らせていただき作業員の方々と仲良くなったうえに、かのSY-Countryを運営されている英国人とも偶然お会いすることができた。私は九台の次には内蒙古自治区牙克石(ヤクシ)にある蒸汽を訪れようと計画していたのだが、彼曰く「運休中」とのこと。私の蒸汽巡りは、初っ端から大幅な計画変更を強いられた。

帰りは彼がチャーターしたハイヤーに便乗させていただき、瀋陽で別れた。ホテルで暫く地図やスマホと睨めっこをしながら、今後の計画の暫定案を練り上げる。

翌日は鉄峰から路線バスに乗り、数年前までは蒸汽の聖地であった調兵山を訪れることにした。むろん、煙はすでに夢の跡。ここに汽笛の音が響くのは、年に数日のイベントの日のみとなってしまった。

しかしここ調兵山で引退した蒸気機関車は、鉄屑にはされずに沿線の博物館に保存されている。数多の蒸汽が無造作に並べられているだけで、殆どはSYだが、デフ付きのJSなども鎮座している。

調兵山のツートップ、KD-6と躍進(YJ)型。いつでも動ける状態にはあるそうだが、2016年の蒸汽復活イベントには参加しなかったらしく、今後の処遇が気になるところ。

隅のほうに放置されていた22系客車。蒸汽の陳列館を案内してくれたスタッフは、客車に関しては「そんなもの撮ってどうするの」と言いたげだった。

こちらは蒸気機関車や鉄道(と中国共産党)の歴史を紹介する区域。ライトアップされた蒸汽を間近から撮影できるのはいいが、やはり蒸汽は煤けていないと面白くない。

鉄峰から撫順まではバス移動。このバスでは発車前に「シートベルトを締めるように」といった話から始まり安全に関する一連の説明があり、失礼ながら「中国にもこんなバスがあるのか」と驚いてしまった。ただ一つ惜しかったのは、シートベルトを実際に締めたのは私一人だったことだ。

撫順には夕方に着いたものの、日本からネット予約したホテルに拒否されるなど苦労もあり、その日は蒸汽の撮影を諦めた。翌朝、疲労の抜けた身体でリトライ。撫順の街は東西に長く、移動は思った以上に骨が折れた。

機務段にて、一晩寝ていた場所から給炭地点に向かうため、左右に強烈なブローオフ!

検査ピットに登らせてもらい、佇む2両のSYを俯瞰。溢れんばかりの、いや実際に覆いから溢れている豪快な石炭の積み方が素晴らしい。しかし、残念ながらここ撫順でも蒸汽の仕業はなく、2両のディーゼルによって全ての運用が賄われていた。

撫順のもう一つの名物といえば、露天砿の電気機関車。日本製の車両もまだ元気に走っていた。どこからか現れた中年の男性が「この炭鉱は日本が造ったものだよ」と淡々と語ってくれた。

この後は阜新に直行するか天津まで足を伸ばすか散々迷った(恥ずかしながら、動いている蒸汽をなかなか見られずに気が相当滅入っていた)が、せっかくここまで来たのだからと天津行きを決心。

実は初めての中国寝台車である。中段を確保していたのだが、身体の硬い私は「これからは下段にしよう」と決心したのであった。

天津到着。今度は迷わないように、とタクシーの運ちゃんに百度地図を見せながら移動。片道30元ほどで、蒸汽のいるはずの南倉[南仓 ナンツァン]站へ。

しかし蒸汽の姿は見られず、しかも機務段と操車場を結ぶ線路は半ばゴミ捨てばと化している。嫌な予感が…。

天津には2両のSYが居たが、そのうちSY1007は完全に火を落とされていたようだった。赤錆びたボイラが痛ましい。

いっぽうSY1524には一応火が入っているようで、キャブの下あたりから煙を弱々しく吐いていた。

背景には高層ビルが迫る天津の外れで、2両のSYはこのまま朽ちる運命にあるのだろうか。もうこんな哀しげな機関車を見るのはたくさんだ。

これ以上の天津滞在は無用と判断し、阜新行きの切符を買った。幸い、天津15時発・阜新23時着という便利な列車があった。もちろん硬臥下段である。駅前の食堂での腹ごしらえ、頭の中には「天津飯」のイメージがあり卵乗せ麺を頼んだのだが、出てきたのはご覧の通り。激辛うどん、ではなくトマト味である。これはこれで美味しかった。帰国後に調べたら、天津飯は「和製中華料理」らしい。

いざ阜新へ!ああ、阜新の元気なSYが恋しい。

さすがに阜新で撮影した写真も1ページにまとめると容量が大きくなってしまうので、阜新だけは単独で掲載させていただいている。

阜新で1日半ほど「動いている蒸汽」を堪能したのち、この旅最後の目的地・平庄へ。平庄は半年前に一度訪問していたが、その時は蒸汽の姿を確認できなかった。今回、蒸汽が復活しているとの情報を頂き「このまま見逃すのはあまりにも惜しい」と再訪を決意。

夜に平庄に到着し、翌朝タクシーで装煤站へ。燕京啤酒(ヤンジンピージウ)へ行ってくれ、と伝えるのが手っ取り早い。タクシー代10元。

踏切番に「蒸汽は走っているか」と尋ねる。彼らは遠路はるばるやってきた鉄ちゃんを歓迎してくれたものの、私が日本人だという自己紹介はなかなか信じてくれなかった。彼ら曰く「日本人は金持ちだろう、君はズボンが穴だらけだ」とのこと。よく見れば私のズボンは長旅で泥に塗れ、方方に小さな穴が空いていた。

踏切小屋の電話がなり「汽車が二井を出発したよ」とのこと。すぐにここ装煤にやって来る、こうしちゃいられない。彼らに礼を告げ、装煤手前の勾配まで走った。

果たしてSY1487は、低い朝陽をいっぱいに受けて駆けてきた。平庄リベンジ、見事に成功である。

赤く乾いた大地、葉を落とした木々、それに鮮やかな青空。内蒙古らしい景色の中を、白い煙をたなびかせながら蒸汽が往く。夢にまで見た光景である。

平庄も釜は北向きなので、正向きで蒸汽を撮ると逆光になってしまうのは悩ましい。おまけに積み込み場から出てくる列車は下り勾配を煙を吐かずに降ってくる。

訪問日はSYと赤DF4が運用されていた。DF4は長編成を牽引しているのに対し、SYは短い列車を担当しているようだった。

夕刻、装煤站から積み込み場へ向けて発車。風が強く、煙が流れる。線路脇の木々の影も、列車に影を落とすほどに伸びてしまった。折り返し列車を待ってはみたものの、日没なので撮影を撤収。国鉄駅まで戻りこの日最初の食事をとった。

翌日は1日かけて瀋陽まで戻り、瀋陽で一泊したのち3月9日の飛行機で日本へ。調兵山の博物館も含めれば、10日間で計6箇所の蒸汽を巡ったことになる。しかし満足に動いている姿を撮影できたのは阜新と平庄のみ。中国蒸汽は、真の終焉を迎えようとしている。

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