大連塩化集団 金城分公司(2017/09)

不揃いのヂーゼル機関車。丸太を組んだような木橋。へろへろに草臥れた軌道と転轍機。そんな素晴らしい「軽便鉄道」然とした光景が、今でも中国・遼東半島に残っているらしい。

2017年の夏、3週間に及ぶ東欧遠征から帰国したのち、さて大学が始まるまでの残り3週間あまりをどう活かそうかと思い悩んだが、ふとこの塩田ナローの存在を思い出し、急遽2週間弱の遠征計画を取りまとめた。といっても、大連の安宿に10連泊し、そこを起点として日帰りで塩田ナローを訪問するというだけの計画である。

なお、今回の訪問の成功は、ひとえに「編集長敬白」の名取氏、「你好、小火车!」の一路順風氏、および「デジタル青信号」のぶんしゅう氏がネット上に公開されている情報のおかげであることを、まずはじめに書かねばなるまい。3名の心強い先駆者の方々には、感謝してもしきれない。

9月12日の夜、成田発武漢経由の南方航空で大連入り。一泊千円もしないドミトリーに投宿し、翌日からの塩田撮影に備える。翌日朝、バスターミナルで切符を買い求める。復州湾の街までは約2時間、片道30元。

復州湾の街でバスを降り、とりあえず、ということでナローの操車場を目指し歩き出す。

私が操車場に辿り着くと同時に、タンク車を連ねた短い給水列車が出発していった。牽引は247-08号。一路順風氏の3年前のレポートに掲載されている時点での同型機関車と比べ、番号表記が追加され、おでこの前照灯が角形に変更されている。

外が曇っているので、車庫の中を覗かせてもらった。先ほどの08号も既に帰ってきている。手前の機関車はまだ前照灯が丸型。おそらく丸型のライトの在庫が切れ、交換の要が生じたものから順次角形に取り替えられているのだろう。

4時半ごろに塩田を撤収し、復州湾の街に戻る。この時間ではもう大連まで戻る高速バスは走っていないので、タクシーで高速鉄道の普湾駅まで飛ばしてもらい、6時過ぎの列車で大連へ戻った。このタクシードライバーが親切な方であり、翌日からも塩田から駅までの帰途には彼に運転を頼むことにした。

翌日、バスを降りるとちょうど工事用列車が操車場に戻るところだったので、慌てて走って追いかけ、木橋を渡る姿を撮影。写真奥側が操車場であり、列車は推進運転で進んでいる。

さらに走って追いかけると、私の姿を認めた運転手が速度を緩めてくれた。列車が順光となる地点に至ったところでもう一枚撮影。フラットカーと有蓋車、それに人車の編成である。

この日は青空にも恵まれた。第二塩場線が分岐する辺りまで歩き、塩田の水鏡を狙う。これがなかなか難しく、少しでも風が出るとご覧のように水鏡が乱れてしまう。

翌15日は大連市内で路面電車を撮影し、16日の土曜日に再び塩田を訪れた。週末にも塩田は操業しているか若干不安ではあったが、到着してみるとばっちり輸送列車が走っていた。この日は歩いて第二塩場の積み込み場を目指した。

第二塩場への分岐点の手前、風が収まって水鏡が綺麗に出たところでちょうど列車が来た。青空が綺麗だと、どうも広角で空を入れて撮影したくなるため似たり寄ったりな雰囲気になってしまいがちだ。

視界を遮るものがないだだっ広い塩田のところどころに、りっぱな職員の休憩所が建てられている。止め置かれた03号機の車内では機関士が昼寝をしていた。

第三・第四塩場方面へ向かう路線との分岐点から3キロか4キロほど歩くと、ちょうど貨車に塩を積み込んでいるところだった。塩田の水底に沈殿した塩を吸い上げ、水気を落としながら貨車に積み込んでいく。

貨車の下部からは塩水がなおも滴ってきている。積み込み方はかなり杜撰なもので、時折積みすぎた塩が零れ落ちていた。

木造貨車の上によじ登って撮影する。25両連結の貨車に塩を積み込むのに、およそ2時間を要するとのことであった。

翌17日は日曜日であったが、やはり塩田は操業していた。まずは隣接する化工会社を覗いてみる。本線とは違う塗り分けの機関車が待機していた。

その場にいた職員に許可を取り、工場の中へ歩を進める。奥にはもう一両の機関車が待機していたが…メルセデスベンツの製造、という訳ではないだろう。

この2両の他にも、何両かの赤錆びたダルマが放置されていた。

工場内の撮影を終え、職員に一言礼を言ってから再び塩田の方へ歩き出す。折良く、塩を満載した輸送列車が操車場の方へ戻って行くところだった。

振り向いてもうひとカット。夏空、水鏡、そして軽便鉄道。今が2017年であるとは信じられなくなるような魅惑の一瞬であった。

国鉄廃線跡のオーバークロスより撮影。金城は、もう一つの支社である五島と比べて狭い範囲に撮影地が集中しているので徒歩でも撮影がしやすい。しかしそれでも毎日、短くても10キロは歩いている。

この俯瞰撮影をしていると、ふいに運転手が列車を停めて私に話しかけてきた。ここの塩田の職員はみな友好的で、私が日本から一人で撮影に来たと言うと驚き呆れていた。

普段ならば4時半ごろに撤収するのだが、この撮影のあと、雲のない空を見てしばし悩み、もうしばらくの撮影継続を決めた。いつもの塩田の脇に移動してしばらく待つと、第二塩場からの輸送列車がやってきた。沈む夕陽に、小さなディーゼルのシルエットが浮かび上がる。

よく見ると、この列車は先ほど俯瞰撮影した列車の折り返しであった。私が走って追いかけると、例の運転手たちは速度を緩めて私に先に行くように促す。彼らの好意に甘えて列車の先頭に回り込み、アングルを変えてもう一枚。

塩田へ沈む夕陽に、軽便列車がギラリと輝く。運転手たちはさらにこの後、私を機関車内に招いてくださった。私は途中まで機関車に添乗しながら復州湾の街へと戻り、いつものタクシーで帰途についた。

18日の月曜日はもう一つの塩田支社である五島分公司を訪れ、19日に再び金城へ。この日は徒歩で第四塩場を目指した。線路伝いに歩くと、操車場から片道7キロか8キロほどある。

塩田の真ん中の狭いあぜ道に軌道が敷かれている。台風の影響で運休することがあるというが、さもありなん、といったところである。

第四塩場に至る途中にある12連橋で列車を待つ。運の良いことに、やって来たのは工事用列車だった。橋に綺麗に編成が乗ったところで撮影。光線も素晴らしく、満足いく一枚となった。

そのまま工事列車を追いかける。どうやら第四塩場内の転轍機に不具合があったらしく、その修理のための列車であった。

作業を終えると、列車はそのまま機回しをせず推進運転で操車場の方へ戻ってゆく。私も慌てて追いかけ出したが、列車はところどころで線路の点検のために一時停止をしながら進むので、難なく追いつくことができた。

塩田を挟んで反対側のあぜ道から撮影。塩輸送の貨車も良いが、やはり無蓋車・有蓋車・客車という雑多な編成がいちばん軽便鉄道らしい。至高である。

途中でまた一旦停止し線路の点検をしている。線路脇には新品と思しきコンクリート枕木が無造作に転がされている。塩田がシーズンオフになり輸送列車が走らなくなった頃に交換するのだろうか。

最後は第二塩場方面との分岐の辺りで見送った。この日は朝から夕方まで、文字通り雲ひとつない見事な快晴であった。

翌日の20日、金城7日目にして最終日である。もう足腰にもかなり疲れが溜まっていたのでこの日は塩田まで歩くことを諦め、操車場のあたりでぶらぶら彷徨いながら撮影をしていた。しかしそれが幸いし、化工会社のディーゼルが工場の外に出てきているところを撮影できた。背景に聳える煙突は、化工会社の工場のものである。

この日も多少の雲は出ていたものの、気持ちの良い晴天であった。

操車場へと至る木橋を輸送列車がゆく。

3号機は前後で前照灯の形状が異なるという興味深い機関車で、上の写真のエンジン側は四角いライトであるが、下の写真のように扉側は丸型である。個人的には丸型の方がずっと愛嬌があってよいと思う。

意外にもなかなか撮っていなかった順光の編成写真。

7日も滞在するとさすがに作業員の方々にも顔を覚えられ、時には操車場の転轍機の切換操作を手伝わさせられるようにもなった。憧れの軽便鉄道の線路端で過ごした時間はあっという間に過ぎてしまい、撮影最終日の太陽もすでに傾きつつある。素晴らしき被写体たちにしばしの別れを告げ、私は遼東半島を後にした。


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