三道嶺煤砿(2015/12)

中国の西の果て、新疆ウイグル自治区哈密三道嶺。天山山脈を望む大地に、建設型蒸気機関車の最後の聖地があるという。「火車」(中国語で列車の意)という言葉に相応しい、火を吐きながら驀進する汽車がいるという。

ここ三道嶺で外国人が汽車を撮影するためには、現地に精通したガイドが必要とのことで訪問できずにいた。しかし渡りに船とはこのこと、秋に都内新宿で開催されていた「火車撮影家集団」の写真展を拝見した際に、中国鉄の大先輩の方々と知り合い、彼等がが開催する三道嶺ツアーに加えていただけることになった。私はずば抜けての最年少だったが、志を同じくする者として先輩諸兄のツアーに暖かく迎え入れていただいた。夕食の席では、ふとこんな替え歌が飛び出した。

…集まり散じて人は変われど、仰ぐは同じき理想のケムリ…

ところで、煙突から火の粉を盛大に吐きながら進む蒸汽…この「花火」と称される現象こそ、三道嶺の蒸汽の特筆すべき点である。今回のツアーでは「花火」の撮影を最優先とし、そのために現地ガイドや乗務員との綿密な調整が行われた。しかし、向かうは"予定は未定"とされる中国。果たして花火を見ることはできるのだろうか、見られなくても仕方ない…そんな心持ちで旅に出た。

さて、前置きが長くなってしまった。
12月26日の飛行機で北京に入り、ツアーの方々と合流したのち翌日の飛行機で哈密へ。そこから更に高速道路を一時間あまり飛ばした先に、目指す三道嶺の街があった。漢族とウイグル族が住む小さな町で、冬には最低気温が零下15度前後まで下がる。

先ず昼飯を済ませる。パスタにも近い味付けの麺は、かつてのシルクロードを通して盛んに行われた文化交流の証だろうか。

石炭積み込み場への路線にて。凍てついた空気を幾条もの煙が白く染めていた。ここは正しく、中国最後の"聖地"であった。

陽が落ちて辺りが暗くなってきた。一同、「花火」に向けて準備万端。緊張感が漂う。

暫くして、ヘッドライトを閃と輝かせて汽車がやってきた。

「花火」である。汽車が火の粉を吹き上げている。半ば諦めかけながら待ち望んでいたその光景は、意外にも呆気なく(勿論裏では主催者やガイドによる綿密な調整があったのだが)私の目の前に現れた。

更に移動し、スイッチバックで別線に入る列車を追いかけた。

更に火を吹いている! もはや火の粉ではなく、煙自体が燃え盛っているようだ。三道嶺一晩目からとんでもないものを見てしまった。一同興奮冷めやらぬ様子で夕飯を平らげた。

三道嶺二日目、12月28日。撮影の前に肉饅を食べて腹拵えをする。朝は冷え込み、外気温は零下15度前後。防寒具で身を固めた私だが、先輩方は「かつての集通鉄路に比べれば…」とのこと。まだまだ修行が足りない。

夜更け前、まだ空高くに星の輝きが残る時間帯。建設型単機の通勤列車が駅で出発を待つ。寒空に、汽車の息継ぎの音とカメラのシャッター音だけが谺する。

北京から遠く西に離れた三道嶺でもやがて遅い朝陽が昇り、機関車を妖艶に染め上げた。

石炭積み込み場の入り口を望む「火星」と称される撮影地に来た。荒れた褐色の地表に、這うように白煙が伸びる。

午後は機務段(機関庫)を訪問した。低い冬の光が、倉で寝む草臥れた汽車を優しく照らす。映画「ジャライノール」の冒頭を想い起こさせる光景だった。この楽園も、いずれは彼の地のように煙が絶えてしまうのだろうか。

倉の外には、かつて廃石除けに従事したラッセル車が留め置かれていた。私にとっては蒸汽に勝るとも劣らない魅力的な被写体である。

満載の貨物列車が、ドレンと白煙も勇ましく発車する。遠景に靄が掛かることは別として、乾いた土地柄のためか青空には恵まれた。

帰り際、写真中央の男性に招かれて機務段の皆様の許へお邪魔した。突然の見学者で作業は小休止、といったところだろうか。

昨日と同じ線路を見下ろす地点にやってきた。夕暮れ時、紅い大地が更に鮮やかに輝く。

この日の「花火」一本目。煙を朱に染めて汽車がやってきた。

更に二本目、更に圧倒的な爆煙をもって驀進してきた。これが恐らく滞在中で最も鮮やかに火を噴いてくれた列車である。この絶景を求めてはるばる中国の西の果てまでやってきた参加者やガイドの願いと努力が、見事に実りをもたらした瞬間だった。

三道嶺Part2に続く

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