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カンボジアという国の名を聞くと、やはりどうしても内戦やクメール・ルージュの印象が付き纏う。現在のカンボジア王国が誕生したのは1993年、四半世紀前。内戦で破壊された鉄道も徐々に復旧しているという情報は耳にしていた。そして2018年の今年、首都プノンペンと郊外の空港とを結ぶ軌道が新たに開業するという。路線の半分は在来の線路で、残り半分の空港に至る区間は道路上に敷設されたらしい。報道の写真を見るとかなり不思議な雰囲気の軌道で、我が目で見てみたくなり、大学から直行し空港1泊・現地2泊の弾丸旅を決行した。

プノンペン駅寄りの半分は、家々の軒先に軌道が敷かれている。線路の周囲は、成長著しいプノンペンの都市開発から取り残された貧民街でもある。シアヌークビルへと繋がる幹線と線路を共有しているが、空港連絡列車は二時間に一往復、幹線の列車は週末前後に数便が運転されるだけ。軌道はほとんどの時間、人々の生活の場として使われている。線路上に椅子を持ち出して座る人あり、洗濯をする人あり、食事の準備をする人あり、遊ぶ子供あり。列車が歩くほどの速度で警笛を鳴らしながら進入してくると、みなおもむろに列車に道を譲るのである。

中には戸車と角材とで自作の車両を拵え、そこに鍋やら器やらを積み込んで食事を運ぶ人までいる。まさしく何でもありの状態。私も露天商から適当に食事を買い、線路に腰掛けて齧り付いていた。

普通の外国人は空港連絡列車に乗ることはあってもこの沿線に歩いてくることはないのであろう、人々は私を好奇の目で見たり、ちょっかいを出したり、胡散臭そうに睨んだり、写真を撮るように迫ったりと様々な反応を見せてくれた。私としても列車が来ない間はこれといってやることはないので、沿線の人々にカメラを向けることにした。

ゴミの散乱した線路の上を裸足で歩く子供も多かった。ここが数十年前には子供が兵士であり医師であり、あるいは虐殺されていった国である。鉄道趣味がなければこのような場所に来ることもなかったのだろう、と思うと不思議だった。再び列車の走り出した軌道で遊ぶ子供たちを見ながら、彼らが次なるカンボジアを作っていくのだな、と感じた。

店番をする少年。私がカメラを向けると、恥ずかしがったり戯けてみたりと百面相をしてくれた。線路端に生きる子供たちはみな人懐こかった。子供の笑っている場所というのは良いものだ、と素直に思う。

にわか雨を避けながら饂飩を食べる家族。私もご相伴に預かることにした。折しも列車が通過していった。2日半ほど線路端に居座ると、最後の方には住民も私を見慣れたのか、次第に距離感が近くなっていったのは嬉しかった。

最初は路面区間狙いでいったのだが、結局ほどんどは軒先軌道のほうに滞在したので、路面区間での写真は意外に少ない。ディーゼル機関車に客車1両の編成で、終端駅には機回し設備がないので復路は推進運転になる。そのうちメキシコ製の新造ディーゼルカーが導入されるらしい。この写真は最終日に空港に戻る途中での撮影。慌ただしい滞在となってしまったが、得るものは大きい旅だった。