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遼東半島といえば、歴史の授業で繰り返し暗唱させられた記憶がある。その遼東半島の復州湾というところに、どうやら日本統治時代の設備を引き継いだ塩田軌道があるらしい、という話は先輩諸兄のホームページなどから知っていた。しかし私には現地でのコネもなければタクシーをチャーターする余裕もなく、単独での訪問は半ば諦めていた。

大学2年生の夏休みの終わり、カレンダーの空白を見遣り「そろそろ自分1人で行けるのでは」と思い立ち、1週間余りの行程を組んだ。行程といっても、大連の安宿に寝泊まりし、毎朝長距離バスに揺られて塩田を訪れ、帰りはタクシーや鉄道を乗り継いで戻ってくるというだけ。行き当たりばったりもいいところであったが、とにかく自分の脚で枚数を稼ぐ日々は実に愉快でもあった。

大連復州湾の塩田軌道は現在2拠点で操業している。クリームと赤の好ましい塗装の機関車が活躍しているのは金城分公司、ここは長距離バスのルートからのアクセスも良好で、滞在中は多くの日数をこちらの路線に費やした。

機関車は一両一両で微妙に形態が異なり、角張っていたり丸みを帯びていたりする。元を辿れば日本が製造した車両に行き着くのだろう。後に続く二軸の塩貨車も可愛らしい。

夏空、水鏡、軽便機関車。とても2017年の光景とは思えない。

塩田で回収した塩を載せた貨車は、積替場まで牽引されて行く。貨車の隙間から滴り落ちた塩水は蒸発し、線路の両脇に白い筋を作っていた。小指の爪ほどの塩の結晶もいたるところに落ちている。拾って舐めてみると当然しょっぱいのだが、食用の綺麗な塩ではないだろうからお勧めはしない。

訪問時はたいてい2列車が同時に運行しており、それぞれが別の塩場から塩を回収してきていた。ナローゲージといえど、満載の貨車数十両分となればかなりの量の塩である。

金城はおおむね全線が塩田の間を走るという比較的単調なロケーションではあるが、水路を跨ぐ橋や国鉄線との立体交差もあり飽きることはない。風が凪いで綺麗な水鏡が見られるタイミングを狙った。

金城塩田の最大の見せ場、第四塩場線の12連橋。やけに立派なコンクリートの橋脚が狭い間隔で並んでいるのが愛らしい。

折しも順光の時間帯、線路工事のための職員列車がやってきた。延々と連なる塩貨車も良いが、機関車に無蓋車・有蓋車・客車と続くこの編成は正しく軽便鉄道という雰囲気。いつ、どこへ向けて走るかが一切分からない職員列車をこの場所・このタイミングで捕らえられたのは僥倖であった。

金城分公司 ヤード
39°26'06.5"N 121°39'14.6"E

金城分公司 12連橋
39°25'11.2"N 121°36'36.3"E

五島分公司 ヤード
39°27'40.7"N 121°29'26.1"E

何日も撮影を続けていると次第に作業員たちも私の顔を覚えたのか、手を振ったりしてくれることも。さすがにヤードでの撮影中に「そこの転轍機を切り替えて!」と突然手伝わされたのには驚いたが。

上の写真を撮り、もう一枚別のアングルから狙えないかと走ったところ機関士たちが列車の速度を緩め「先に行け!」と促す。好意に感謝し列車を走って追い抜き、反対側から「ギラリ」を狙った。この後は街の近くまで機関車に乗せて送っていただいた。

もう一箇所の塩田軌道である「五島」分公司は1日だけ訪れた。こちらはバスを降りてからタクシーでアクセスせねばならず、塩田自体も広範囲に広がっており徒歩での撮影はかなり厳しかった。ただ、そのぶん広大な塩田の畔道を列車がゆく姿は圧巻。

五島の機関車は白地に赤帯の塗装で、形態も金城のそれとは微妙に異なる。

塩場の末端まで歩くのは諦め、コンクリート橋を俯瞰する丘に攀じ登った。金城にもましていつ列車が来るのか分からないが、塩田の小々波を眺め遣りながら物思いに耽るのもまた一興、日本に帰ればまず得られない時間を愉しんだ。やがて遠くの地平線からゆっくりゆっくりと塩を満載した列車が帰ってきた。

大連といえばもうひとつ、日本製の車両が今も大切に使い続けられている路面電車。こちらは曇りがちな日や歩き疲れた日に息抜きがてらに撮影したが、以前に来た時よりも随分と本数が減っているようにも感じた。

10日ほどの滞在のうち、延べ1週間ほどを塩田歩きに捧げた。日本に帰ってみれば手元には幾多の思い出深いカットと強烈な日焼けが残り、慌ただしく大学の課題に追われる生活に舞い戻った。

最後に、今回の訪問に当たって多くの情報を提供していただいた「你好、小火車!」の一路順風氏に深く感謝したい。滞在中はもう望むアングルは撮り尽くしたような気分でいたのだが、氏のサイトでの最新情報を見たり、自分でこうしてホームページに書いているとまた訪れて潮風を浴びながらカメラを構えたくなってくるものだ。