第7次 台湾鉄道撮影(2016/07)

2016年の10月28日と29日の二日間、旧式のディーゼルカー「DR2700」型が臨時列車として台湾を一周すると知り、2泊4日の強行軍で台湾へ向かった。現地滞在は正味二日。

DR2700とはそもそも、台北〜高雄を結ぶ特急「光華號」用として、1966年にデビューした車両。当時まだ蒸気機関車が多く残っていた台湾において、ステンレス無塗装の車体は「白鐡仔」の愛称で親しまれた。当時の「光華號」は台北〜高雄間を4時間40分で走破していたそうで、これは現在の「自強號」(E1000型タイプ)よりも僅かに速いくらいだから、まさに気動車とは思えない韋駄天っぷりである(振り子式車両を使う「自強號」はもっと速いが…)。

DR2700型は第一線を退いた後、最終的に台東線の台東〜花蓮間でのローカル輸送に従事し、2014年の7月に定期運用から退いた。私が初めて台湾に行ったのが2014年の春で、その時に台東駅で停車中のDR2700は撮影していたが、惜しいことに走行シーンは撮影していなかった。というわけで、今回の遠征は2年越しの再挑戦といった格好である。

前置きが長くなってしまった。
木曜日の大学の講義を午前中でバックれて、成田空港へ。夕方のタイガーエアで台北へ飛んだ。桃園空港到着は8時丁度。その日は台北駅前の定宿に泊り、翌日の自強號で東部幹線を下った。数ヶ月ぶりの台湾東部は、慣れ親しんだ蒼い空。短いながらも濃密な、二日間の挑戦が始まった。

吉安站に到着。タクシーを飛ばし、木瓜溪近くへ。撮影地に到着して機材をセットし終えると間もなく、8連のDR2700が築堤を駆け上がってきた。第一印象は「快(速い)!」、まるで鄧小平である。

晩夏の東台湾、爽やかな青空と二毛作の水田との境目を「白鐡仔」が銀の矢の如く駆け抜ける。

振り向いてもう一発。木瓜溪に架かる橋を駆けてゆくDR2700。

この時撮影地で知り合った台湾人の鉄道ファンの方が、偶然私とDR2700のツーショットを収めており、後日私に送ってくれた。海外では単独行動が多いだけに、こういった写真は貴重である。まさに宝物だ。

プユマ號も撮影。紅白の車体が映える。この後、上の写真を撮ってくださった現地テツの方が車で花蓮駅まで送り届けてくださった。最寄り駅まで40分歩いて戻ることを覚悟していただけに、本当にありがたかった。

花蓮駅にて、小休止を取るDR2700。私も駅前食堂で昼飯を掻き込んで、自強號で福隆まで先回り。

しかし残念ながら、台湾東部ではお馴染みの天気でもあるのだが、やはり午後からは雲が出てきてしまった。せっかく順光になる撮影地を選んできたのだが、DR2700通過時にもこの通り。

磨き上げられたステンレスボディも、この天気ではどうしようもない。

DR2700通過後の貨物列車ではご覧の通り美しい晩夏の光線に。あと少しだけ遅れてきていれば…なんて思ってしまう。しかし天気のことばかりは為す術無しである。

翌日、台北から一番列車で西部幹線を南へ。どこで撮影するか迷ったが、結局天気も今ひとつだったので、豐富站ホーム端から高鐡の鉄橋と絡めて一枚。

やっと正面HMが綺麗に見えるカットを撮ることができた。撮影後、高鐡に乗って先回り。

高鐡左營から再び台鐵に乗り換える。と、この時の車内で、以前からネット上で交流のあった日本人鉄道ファンの方とお会いした。彼も私と同じく南州へ行かれるとのことだった。

南州站で彼と別れ(私が車内にカメラバッグを置き忘れて取りに戻るという冷や汗モノのトラブルもあった)、彼は陸橋上の俯瞰撮影地へ、私は線路脇へ。しかし空は鉛色である。DR2700撮影も最初の一枚を除いて曇天続きで終わるのか…と嘆いていた。

しかし、同じ線路脇の撮影地に居た方々と談笑しているうちに、ふと一人の台湾人が「私はこれから車で追っかけて、もう一発別の場所で撮るよ」と言うではないか。すかさず「私も一緒に連れて行ってはくれないか」とお願いする。彼も快諾してくれ、更に現地にいた他の日本人一名を加えた計3人で最後の追っかけ撮影をすることになった。

そうこう話をしているうちに、少し遅れてDR2700が通過。

撮影後、すぐに機材を撤収して路駐してある車へ。DR2700の途中停車時間を利用して、内獅站へ先回りする。既に多くの撮り鉄がカメラを構えていた。

跨線橋の上、ホーム、更には線路脇まで。しかし殺伐とした雰囲気はなく、むしろ和気藹々といった雰囲気である。私ともう一人の日本人の方は、駅ホーム手前にカメラを構えてセッティング完了。

程なく、誰かが「来了!」と叫んだ。DR2700「白鐡仔」撮影、ラストチャンス。果たして…。

台湾の女神は、最後に我らに微笑んだ。

夕刻の柔らかい光線が「白鐡仔」を優しく染め上げる。非電化区間のカーブを高速で駆け抜けるその姿は、間違いなく今日に蘇った「光華號」であった。

振り向いてもうひとカット。多くのファンに愛されし名車が、エンジン音も高らかに走り去ってゆく。その美しさには、ただただ見惚れるのみであった。

撮影後、私たち日本人2人を内獅まで送り届けてくれた台湾人鉄道ファンは、再び車に乗って帰って行った。私ともうひとりの日本人の方は駅舎の入り口の階段に腰掛け、目の前の海原に沈む夕陽を眺めていた。彼は台湾鉄・海外鉄の大先輩であり、昔日の台湾の鉄道のことなど、面白いお話を沢山していただいた。

やがて枋寮行の普快車が到着。私も彼も枋寮で自強號に乗り換え、彼は高雄で、私は新左營で降りた。彼はまだ少し台湾に残るとのこと。私は高鐡に乗り換え、そのまま桃園空港から日本に帰った。

台湾に居ると、他の国にいる時よりも更に現地の方にお世話になってしまうな、と帰りの飛行機の中で思った。せめて彼らが日本に来た時に力になれればいいのだが…そんなことを思いながら、少しの疲労感と十分な達成感に浸って、成田までしばしの眠りについた。

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