牙克石・五九煤砿(2017/03)

菜の花のシーズンに芭石を訪れた後、行き掛けの駄賃ではないがもう一箇所くらい現役蒸汽を訪れてから日本に戻ろうと計画していた。しかし改めて現役蒸汽の置かれた状況を見ると、2016年の夏に阜新が無煙化され、平庄は安全点検と石炭産出量減少で蒸汽が運休。工場等での入れ替え運用を除いた場合、蒸汽が毎日動いているのはウイグルの三道嶺くらいになってしまっていた。さすがに三道嶺は遠い…ということで、昨年の5月に訪れて結局蒸汽が動いていなかった内蒙古自治区牙克石の五九煤砿を再訪することにした。英国の情報サイトでは昨年末には蒸汽が動いていた、とのことではあるが、実際に訪問した日に動いているかは運次第である。

成都から瀋陽まで飛行機で移動し、さらに夜行列車で北上する。牙克石で一泊した翌日、牙林線の鈍行列車に揺られて烏爾旗漢(簡体字 : 乌尔旗汉)へ。

駅前でタクシーを拾い、いざ五九煤砿の勝利砿駅へ。しかしヤードに蒸汽が居ないので車庫を除いてみたところ、蒸汽は3両とも機関庫の中にいた。去年と違うのは、そのうちの1両、上游1225に火が入っており、陽光射し込む機関庫の中で煙を立ち上らせていたこと。白煙がゆらゆらと昇っているだけではあるが、正しくそれこそ生きた蒸汽の証。私は夢中になってシャッターを切った。

しかし間もなくこの日の仕事は全て終わってしまったようで、機関庫に鍵をかけるので出て行くようにと促された。彼ら曰く、明日は3時から蒸汽が動くという。その言葉を信じ、私は一旦烏爾旗漢の駅へ戻った。

五九煤砿のある辺りは小さな街でホテルは無いので、この日は比較的大きい烏爾旗漢の街に宿泊しようと考えていた。実際、去年の5月には駅前の黎明ホテルに宿泊できることを確認している。残雪の街の寒さに凍えながら私は黎明ホテルに飛び込んだのだが、なんと今は外国人向けの業務はやっていないという。去年は泊まれたと伝えても、今年はダメなのだとつれない返事。仕方なく街中の他のホテルを巡ってはみたが、いずれも外国人は不可。仕方なく私はその日の夕方の列車で一旦牙克石まで戻った。

翌朝、再び朝の列車で烏爾旗漢へ。国鉄線の撮影を少しした後、五九煤砿の車庫の前に。時刻は11時、さすがにまだ機関庫には鍵がかかっていたので先ず昼食を食べ、それでもなお時間を持て余していたので、寒風吹き抜ける線路に座り、日本から持ってきたジョージ・オーウェルの「1984年」を読んだりしていた。3時になっても機関庫には誰も来ず、3時半を回ってからようやく鍵が開き、蒸汽の整備が始まった。結局、今日は4時から蒸汽が動くとのこと。

上游1225のナンバープレート。一般的な上游型の番号表記よりもずいぶん立派で、游の字のフォントがなんとも魅力的である。こんなカットを撮っている間にも、ボイラーの圧力はあっという間に上がり、蒸気が激しくふきあがり出した。狭い機関庫の中で、轟々と音が反響する。

汽笛一声、上游は動き出した。

青空の下で生きる上游型を見たのは、阜新以来だったかもしれない。阜新を最後に訪れてからまだ一年も経っていなかったが、随分と久しぶりのような気がした。

上游は空の石炭貨車を押して三砿へ。代わりに満載の石炭貨車を牽いて折り返してくるのでは、と期待して待ってはみたものの、身軽になったまま単機で帰ってきてしまった。

さらに今度は上游は今度は西の方へ走り去って行ってしまった。ちょうど日没でもあり、これ以上の撮影は不可能かと諦め、翌日の運用を訪ねるべく勝利砿駅の事務室を尋ねた。親切な駅員さんと話しているうちに、上游は近くの炭鉱で積み込み作業をしており、今から向かえば撮影可能だと教わった。さらにはその駅員さんがタクシーまで呼んでくださり、大慌てで炭鉱へ移動。

向かったのは、これまで他の写真では見たことの無い炭鉱であった。どうやら件の英国情報サイトで"New Mine"としてだけ存在が噂されていた場所らしい。果たしてそこには、明るい照明と長い積み込み線という、まさにバルブ撮影にうってつけの条件が待っていた。

上游は長い石炭貨車を従え、前進と停止を繰り返しながら貨車の1両ずつに石炭を積み込んでいく。私は少しずつ後ろに下がりアングルを変えながら、何枚もバルブ撮影をすることができた。完全に停止してから再び発車するまでの時間は長くないので、2秒程度のシャッターが限界である。三脚を立て、カメラのモニターを睨みシャッターを切る。残雪の構内に立っての撮影は相当足先を痛めつけた筈なのだが気にならず、私は夜の内蒙古の寒さをしばしの間忘れ、ただひたすらに蒸汽と正対することだけに全精神を注いでいた。

楽しかった夜はあっという間に終わり、私はタクシーで烏爾旗漢の街へ。一緒に来た五九の駅員さんが尽力してくださったおかげで、この夜はなんとか烏爾旗漢にあるホテルのうちの一軒に宿泊することができた。翌日も蒸汽は4時から走るよと教わり、彼とは別れた。興奮冷めやらぬままベットに入ったのだが、やはり疲労には勝てずすぐに寝てしまったようだ。

翌日は結局、何らかのトラブルで蒸汽が動かないことになってしまい、私は短い時間を機関庫で過ごした後に早々に撤収することになった。この日に撮影できたうち最も良いカットは、ボイラーの火を絶やさないために石炭を焚べる機関士の姿。

五九煤砿に費やした3日間のうち、蒸汽が動いたのは数時間のみ。次に来る時には − もし次があるとすればだが、1週間くらい滞在する覚悟で来るべきなのかもしれない。とにもかくにも、その数時間で満足いくカットを収められた幸運に、まずは感謝である。私はいま一度、現役蒸汽の生きる夢のような光景を拝むことができたのだ。窓の外を過ぎ去る内蒙古の真っ赤な夕日を眺めながら、私は内蒙古を後にした。

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