ベラルーシ。欧州最後の独裁国家なんていう煽り文句を向けられることもある国だが、嬉しいことに2018年より日本人は事前のビザ申請なしで入国できるようになった。私がベラルーシを訪れるのは都合2度目であるが、前回は滞在が正味1日であったので、この国とがっぷり四つに組み合うのは初めてと言ってもよかろう。そう、以前に来た時には代理店を通してビザ申請をしたものだ。
首都ミンスク到着後、夜行列車で先ず向かった東北部ビテプスクは、天候が優れず。本来なら数日はビテプスク近辺で撮影を続けるつもりだったのだが、天気予報は曇り続き。私は行程を繰り上げ、夜行列車で南部の都市ホメリへと進路を取ることにした。乗り込んだベラルーシの二等寝台車は昔ながらのソ連式4人部屋である。
2晩連続の寝台車は、体力的には問題ないがスマートフォンの充電が心許なくなってくる。旧型の寝台車にコンセントなど無かったのだ。薄明のホメリに到着後、その日の晩に宿泊予定のホテルへと駆け込み、ロビーのコンセントを貸していただいた。太陽が昇ってくる頃には充電も回復、そして見渡す限りの青空。私は意気揚々とローカル線のディーゼルカーに乗り込んだ。
Klimaŭka駅で下車し、カメラを構える。やがて、ウクライナ国鉄の2M62U型が牽引する053A列車がインカーブのお立ち台に颯爽と姿を現した。前照灯が点いていないとか、重連運用前提の機関車でありながら単機であるとか、細かい注文はあるにせよ一先ず狙いの機関車を順光で仕留めることができた。午後には早くも曇りだしたので、早めにホメリの街へ戻りビールグラスを傾けることに専念した。勝利の美酒である。そして、久しぶりの"揺れない寝床"を心ゆくまで楽しんだのであった。
翌日、ホメリは曇りである。街中の市場を歩き回ってみたり、駅にやってくる列車を見送ってみたり。運の良いことに軌道検測の列車もやってきた。しかし晴れないことにはどうにも今ひとつ力が湧かない。天気予報を見ると、向こう数日は西部のブレストが晴れるようだ。ホメリとブレストはちょうど夜行列車で1晩の距離である。
というわけで、予報の太陽マークを目指してまたしても夜行列車に飛び乗り、朝陽のブレストに到着したのであった。ベラルーシは国土の南北と東西方向の距離がそれぞれちょうど夜行列車1泊分の距離なので、天気予報を見ながら地方都市間を跳び回るにはうってつけである。
しかしブレスト駅のホームから空を見ると予想外に雲が出ている。これはどうしたことだろう、とりえあず撮影地まで行って様子を見てみることにした。
ローカル線に揺られてMuchaviec駅まで行き、カメラを構える。車両は狙い通りのDR1A型気動車だったが、曇り空も相まってパッとしない写真になってしまった。ここは要再履修である。
ちょうどやって来た乗合バスで街中まで戻り、さらにバスを乗り継いで大幹線の沿線に移動した。近郊電車や客車列車が頻繁に通過し、飽きることはない。旧共産圏らしい赤星を掲げたVL80型電気機関車はベラルーシにおいて外すことはできない魅力的な被写体。長いコンテナ貨物車は大陸横断貨物か、ポーランドからベラルーシを抜けてロシアや中国まで向かうのだろう。
ブレストに泊まった翌朝、今度こそ空は快晴。少し寝坊したのでタクシーで撮影地まで駆けつける。昨日の撮影地から少し南にずれたKamiennaja駅付近に、背景の木立の高さも理想的な撮影地があった。待つこと暫し、踏切が鳴り出し、朝の光線に照らし出されDR1A型はファインダーに現れた。編成写真で手堅く一枚。
ところでこの背景の木立は、後で調べてみたら軍事基地の目隠しの木だったのだ。知らぬが仏というが、今思い出しても冷や汗ものである。
さらにブレストに延泊し、今度は朝方の通勤ラッシュを担うエレクトリーチカを狙った。モスクワなどロシアの大都市では12両編成のエレクトリーチカも見られるが、ブレストのエレクトリーチカも10両編成と負けてはいない。おまけに全ての車両がリガ車両工場製の旧型である。
日の出と共に大幹線の線路端に立つ。やがて聞こえてくるツリカケモーターの音。レールの継ぎ目を打つ機銃掃射のような轟音。コルゲート付きの厳つい車体に、寒色基調のベラルーシ国鉄塗装がよく似合う。ブレストの朝の、最高の目覚ましである。
ブレストでの撮影を堪能した私は、ホメリを経由してミンスクに戻った。帰国までの数日、ミンスクで大人しくしているのも良いかとは思ったが、そういえば最初に立ち寄ったビテプスクでは晴れの写真を得られていないと気づいた。天気予報を見てみると、いい具合にビテプスクは向こう数日が晴れ。私は近郊電車を乗り継いで、丸一日かけてビテプスクへと移動した。
ビテプスクに一泊し、翌朝。ホテルを飛び出した私は外の濃霧に言葉を失った。晴れ予報は何処へ!
しかし霧は霧で趣があるだろうと自分を説得し、急行列車で撮影地へと向かった。幸い、次第に霧は単なる曇りに変わり、その雲もちぎれちぎれになってきた。ここでのお目当ては"ペンデルツーク"こと、ディーゼル機関車とディーゼルカーを繋ぎ合わせた変則的編成の列車。
駅の脇の売店で買ったアイスを齧りながら、疎らにやって来る"ペンデルツーク"列車を撮影する。光線も次第に傾いてきた頃、ようやく雲に大きな切れ間が生まれた。森の向こうからは2M62型機関車の咆哮が聞こえてくる。
ビテプスクでの撮影を無事に終え、私はミンスクに戻った。地形の平坦なこの国ではどうしても鉄道写真は代わり映えのしない編成写真が多めになってしまうが、多種多様な旧共産圏型の車両を太陽の下で撮影できたのはこの上ない喜びでもあった。
冒頭に書き忘れたままずるずるとこの一言を述べる機会を逸してしまったのだが、今回の旅は親不孝中欧旅同様、母親同伴であった。連続で夜行列車に乗った時も急な思いつきで行程を変更した時も常に嫌な顔を見せずに付いてきてくれた(そうするより他になかった)母に感謝したい。